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読んだ後、夜にノートを開きたくなる、そして書きたくなる【読書感想:さみしい夜にはペンを持て】

読んだ本
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子供の頃から「日記をつけてみよう!」と何度か試みたものの、一向に続かなかった私。

最初の2~3日は書くことが出来ても、4日目、5日目と経っていくうちに段々、何を書けば良いのか分からなくなる。

言葉が全然浮かんで来ない。

そもそも飽きてきた!

……となり、三日坊主で終了。

そんな私がアラフォーになって始めたこのブログ。

日記も碌に続かなかったくせに、なぜかこのブログは3年も続けることが出来ている。

いったい何故?

そんな疑問に答えてくれた本『さみしい夜にはペンを持て』

『書く』ことが如何に大切であるかを、分かりやすく解説してくれます。

  • 日記やブログが続かない(何を書けばよいかわからない)
  • 読書は好きだけど、感想文を書くのは苦手
  • 自分に自信がないor自分を好きになれない

↑こんな悩みを持つ方には、特にオススメの1冊です。

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『さみしい夜にはペンを持て』古賀史健(著)

舞台は海の中の世界。

登場するのは全員、海の生物たち。

主人公は『うみのなか中学校』に通う3年生のタコジロー君。

コンプレックスが強くて自分に自信が持てず、クラスメイトから苛めを受けている彼はある日、学校をサボって訪れた公園で不思議な『ヤドカリおじさん』に出会います。

そして、この不思議なヤドカリおじさんに勧められるがまま『日記』を書き始めたことにより、自分のことが大嫌いだったタコジロー君が少しずつ変わり始めます。

幅広い世代に伝える『書く』ことの重要性

本屋で初めて見かけたときは何となく「児童書かな?」と思ったのですが、実際読んでみると世代を問わず共感したり、なるほどな~と思える内容になっています。

特に『みんなと一緒にいると、自分ではいられなくなる』という件は、私自身も小学校の頃から身に覚えのある感覚です。

愛想笑いに疲れたり、自分の本心が分からなくなったり、人と直接コミュニケーションをとることが面倒に感じてしまったり……。

もやもやと渦巻くこういった悩みをスッキリさせるために必要なのが『書く』ということ。

言葉にする前に、まずは自分の考えを書き出してみること。

『書いて自分と対話する』

そのために効果的な方法が『日記』であり、日記を通して自分と対話することで何が見えて来るのか、ヤドカリおじさんが優しい言葉で教えてくれます。

読書は好きだが感想文を書くのは嫌いな理由

夏休みの宿題の定番と言えば、読書感想文。

小学校から中学校にかけて、この宿題を出されるたびに私は1人、頭を抱えてました。

本を読むのは子供の頃から好きな方で、特に中学生のある時期、休み時間はずーっと図書室に籠ってました。

物語に夢中になって、自分なりにその世界について空想を膨らませてみたり、絵に描いてみたり、そういう1人遊びをしょっちゅうしていました。

けれど、好きな本について教師から「原稿用紙●枚以上使って感想文を書きなさい」などと課題として言い渡されると、途端に頭の中が真っ白になってしまいます。

読んでいる時は確かに感動していたはずなのに、それを文章で伝えろなんて言われると、いったいどうしたら良いのか、どんな言葉を使えば良いのか分からずひたすら悩み続けてしまう。

しかも「原稿用紙●枚以上」と枚数まで指定されたら、「そんなにたくさん書かなきゃいけないの!?」ともうウンザリです。

そんな気持ちのまま、無理矢理ひねり出した言葉で必死に書き上げた感想文の出来は散々なものでした。

教師からの評価も決して良いものではなかったと記憶しています。

おそらく私は、ヤドカリおじさんが言うところの『思う』と『言う』の距離が遠い人間なんだと思います。

思いついた言葉を外に出すまでに時間が掛かるタイプ。

なので作文はもちろん、お喋りすら碌に出来ないので、クラスメイトの女子の中でもだいぶ浮いた存在でした。

タコジロー君も似たような感じで、作文も読書感想文も嫌いだと言います。

そして、そんなタコジロー君に日記を勧めた張本人であり、自身も高校生の頃から日記を書き続けているというヤドカリおじさんも、昔は作文が嫌いだったそう。

いったい何故なのか……?

作文に書く言葉は『嘘』しかない

「タコジローくんは『へんなこと』を書いちゃいけないと思っている。『いいこと』を書かなきゃいけないと思っている(中略)」

「中学時代のおじさんもそうだった。おとなからほめてもらうため、それっぽいことばを並べるだけの作文を書いていた。いまになって思うとそれは、なにも書いていないのと同じことだったんだ」

引用元:『さみしい夜にはペンを持て(古賀史健・著)』ポプラ社

読んだ瞬間、なんだかもの凄く深いところに刺さった台詞↑

改めて思い返せば学生時代、私が作文に書いてきた言葉は確かにどれも嘘ばかり。

「どういうふうに書くのが正しいんだろう?」

「どういう文章にすれば、先生は納得するんだろう?」

そんなことばかり気にして、ちっとも『自分の言葉』で書けていませんでした。

「自分の言葉なんてもの、私にはない」とすら思っていました。

何事も、どんな時でも他人の顔色を窺って、周囲に同調して、当たり障りのない言葉を慎重に選ぶうちに、自分の中の何もかもを押し殺す癖がつき、すっかり思考停止人間と化していました。

面倒だからと、自分で考えることを放棄したんですね。

「私に『自分の言葉』なんてものはない。だから私は文章なんて書けないし、作文が苦手なんだ」

当時はそう思い込んでいたので、日記なんか始めたところで続けられるはずもありませんでした。

未来の自分のために書く

「ぼくは、変わりたかったわけじゃない。いまになって思う。ぼくは、ぼくのままのぼくを、好きになりたかった」

引用元:同上

日記を書きながら『自分と対話』するうちに少しずつ、自分の考えや、自分が本当に望んでいることが分かるようになっていくタコジロー君。

「自分のことが大嫌いな自分を、好きになりたかった」

私がこのブログを続けている本当の理由も、実はこういうことなのかなと、今は思います。

「何か新しいことを始めたかった」

「広告やアフィリエイト収入とかで、ちょっとしたお小遣い稼ぎが出来るようになれたら」

↑このような理由も、もちろんありますが。

何より『記録』しておきたかったんだと思います。

未来の自分に笑ってもらうために。

『読者』は必ず存在する

「たとえだれに見せるつもりもない秘密の日記でも、そこには『未来の自分』という読者がいるんだ」

(中略)

「タコジローくんはいま、『未来の自分』に向けてロープを投げている。そして3年後のタコジローくんはきっと、笑ってその日記を読むことになる。たとえいまが苦しかったとしてもね」

引用元:同上

私のブログはタコジロー君の日記とは違い、インターネット上で不特定多数に公開されているので読者は当然います。

Googleアナリティクスで、リアルタイムの読者数みたいな数値が動いているのを見ると嬉しい気分になり、それがブログを書くためのモチベーションにもなっています。

一方で、『自分自身も読者である』という感覚も、確かに理解できます。

私もよく、過去の記事を読み返すことがありますから。

初期の頃の記事を読んで、「あの頃の文章、ダラダラと長くて説明くさいな~。当時の私は何でこれで良いと思ったのか」ってぶつくさ言いながら手直ししたり。

「あー、当時の今頃はこんなことしてたのか~」と懐かしく感じたり。

まさにヤドカリおじさんが言うとおり、3年前に書いた記事を3年経った私が笑って読んでる状態(笑)

あと、前回の記事で「国保と年金の加入手続きした~」と書きましたけど、それも去年の無職日記から役所で手続きした時の記事を探し出して、必要な持ち物なんかを確認したんですよ。

「去年の無職の私、グッジョブ!」って思いましたね(笑)

過去の記録が、今の自分の役に立ったという、貴重な体験でした。

いつか、『今』を笑うために

確かに、「未来の自分に向けてロープを投げている」というのは有り得ると実感します。

毎日更新はしていないし、書くのが嫌になる時も普通にあります。

それでもまだブログを辞めたくはないし、まだ辞めるのはもったいないと思ってます。

今は無職でしょーもない自分の日々を、来年か再来年かの自分に笑ってもらうために。

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