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【映画感想】『第三夫人と髪飾り』北ベトナムの桃源郷で暮らす女たちの哀愁

映画・ドラマ
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プライムビデオで、非常に印象深い作品に出会いました。

『第三夫人と髪飾り』

19世紀の北ベトナムが舞台の映画です。

ベトナム映画という物珍しさから見始めたのですが、美しい景色とともに表現される登場人物たちの心情がとにかく印象的でした。

しかしこの映画、様々な国で賞を獲得しているにも関わらず、本国ベトナムでは公開から数日で上映中止になってしまったそうです。

10代の主演女優がラブシーンを演じたことが問題視されたそうですが、個人的には19世紀のベトナムの風習などがよく描かれた名作だと思っています。

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『第三夫人と髪飾り』感想(※ネタバレあり)

大まかなあらすじ

舞台は19世紀の北ベトナム『絹の里』

主人公のメイは14歳という若さで、その里を治める大地主のもとへ嫁ぎます。

夫となる相手・ハンはメイの父親ほど年齢が離れており、しかも既に2人の妻がいる。

ハンには第1夫人との間に長男・ソンを授かってはいるものの、更なる男児が必要という家の方針により、メイが3人目の妻として迎え入れられることになりました。

ちなみに第2夫人との間には娘が3人のみで、息子は授かっていません。

メイは最初から『男児を産むこと』だけを望まれて、僅か14歳でハンの第3夫人となったのでした。

監督はベトナム出身の女性。曾祖母の実体験を基に制作

映画の冒頭に「実話を基にしている」という内容のテロップが流れます。

調べてみたところ、ベトナム出身の女性監督が曾祖母から聞いた体験談に基づいて制作されたそうです。

「嫁ぐ日まで、夫となる相手の顔を知らなかった」

「夫には既に複数の妻がいた」

「男児を産まなければ、“奥様”とは呼ばれない」

作中でも見られるこういった慣習は現代人からすると信じられないものですが、考えてみれば日本でも、ほんの40~50年くらい前まで根強く残っていたらしいですね。

女性であれば世代や国を問わず、共感できる要素が多い映画だと思います。

風景描写がとにかく美しい。そして物悲しい

この映画は基本的に『見る』よりも『感じ取る』作品だと思います。

登場人物たちのセリフも必要最低限しか語られません。

代わりにハン一家が営む養蚕や日々の暮らしの風景、豊かな自然や水の流れなど、一つひとつの映像がとにかく鮮明で美しく、それらの映像の中にこそ、この作品が語りたい本質が秘められているように感じます。

豊かな自然風景も一家の暮らしの様子も全て美しくはありますが、キラキラとした派手さはありません。

雰囲気はどちらかというと暗めで、終始ひっそりとした静けさに満ちています。

美しいけれど、どこか悲しみや寂しさを感じさせる映像の数々は、この家に嫁いできた女性たちの哀愁の現れなのだと思います。

幸せだけれど籠の鳥

メイは14歳で第3夫人として嫁いだ身ですが、第1夫人や第2夫人からは特に疎まれるでもなく、むしろ可愛がられて暮らします。

この辺、日本の昼ドラのようなドロドロした人間模様を期待すると肩すかしをくらうかもしれません。

また、富豪であるハン一家は着る物や食べる物にも困ることはなく、使用人も大勢抱えており、貧しい家に嫁がされて苦労する場合に比べれば、メイたちはかなり良い暮らしをしているように思えます。

……が、しかし。

所詮は彼女たちも、生き方を限定された身に過ぎないのだと感じさせる描写が要所要所で、時に残酷なほど鮮明に描かれています。

「ここは桃源郷か、籠の鳥か」

映画の予告編で使用されているキャッチコピーですが、

「桃源郷という名の籠の中で暮らす鳥」

というのが、私が作中の女性たちに抱いた印象でした。

さなぎから成虫になる前に繭ごと茹でられて、糸だけを取られる蚕のように。

あるいはひたすら卵を産まされた挙げ句、最後は食用としてナイフで首を切られる鶏のように。

生き方の主導権を他者に握られていたかつての女性たちの苦悩、それらを受け入れて生きるしかなかった悲しい覚悟が、美しい映像の中に秘められています。

家父長制は時に、男性にとっても辛いもの

かつては世界中、どこの国にも見られた家父長制。

映画の舞台である19世紀のベトナムも一夫多妻を含め、それが当たり前という社会です。

しかし『家』が絶対、『父親(夫)』が絶対というこの制度は時に、男性にとっても辛いものなのではないか?

この映画では、そのように感じさせるシーンもしっかり描かれています。

ハンと第1夫人の長男であるソンは、家同士が勝手に決めた政略結婚を拒否。

ソンには他に愛する女性がいて、その女性と結ばれることを強く望みますが、結局その夢は叶わず。

挙げ句、ソンのもとに嫁いできた少女は不幸な結末を迎えてしまいます。

自身の身に降りかかった出来事を受け止めきれないソンは、最後まで苦悩し続けました。

家父長制に限らずですが、社会が『当たり前』としている制度や風潮を受け入れられず、より自由な生き方を求めたが故に苦悩する人間というのは、いつの時代にもいます。

考えてみれば『家を継ぐ』ということは、その家に死ぬまで縛られ続けるということですよね。

女は女で辛いことだらけだけど、男は男で一生モノの責任を背負わされる。

自分が望む未来を追い求めた結果、すべてを失ってしまったソンのような人間は、当時の社会をどうやって生きたのだろう。

『桃源郷』は女たちの哀愁だけでなく、世継ぎとして生まれた歴代の男たちの心情も、そっと内包しているのかもしれません。

この映画が描いているのは、かつての日本でもある

この映画の舞台はベトナムですが、映画が描いている男尊女卑や家父長制は、かつての日本でも当たり前だったものです。

というか19世紀であればアジアだけでなく、ヨーロッパでも似たような感じだったと思います。

映画の後半でメイは女の子を出産しますが、その子の口にそっと『黄色い花(=毒花)』を添えるシーンは一見、衝撃的ではあります。

しかし女性の生きる道が限定されていた時代を考えれば、まったく理解できなくはない行動だとも思います。

男児を産めなかったメイも「奥様」とは呼んでもらえません。

舞台となった国は違えど、この映画が描いているのは私たちの祖先が生きて来た世界でもあります。

川辺で自らの長い髪をハサミで切り落とし、強い眼差しを向けていた第2夫人の次女の姿が唯一、未来への希望を暗示しているようでした。

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