日曜日の今日は気持ちの良い快晴。
朝起きたらすぐに洗濯してコインランドリーで寝具を洗って期日前投票にも行って、帰宅後は平日の作り置きおかずをこしらえて……
午前中にハイスピードでやることを済ませました。
ああスッキリした。
――で、時間が空いた午後は、何だか無性に本を読みたい気分。
それも喫茶店で。
さっそく財布とスマホと電子書籍リーダーだけをバッグに入れて、お気に入りの喫茶店に繰り出しました。
ぼっちにも優しい、こじんまりとしたレトロな喫茶店
画像はお店で注文したコーヒーとチーズケーキのセット。
最寄り駅から徒歩圏内の、お気に入りの喫茶店の1つです。
個人経営の、座席数が10席もない程こじんまりとしたお店なのですが、いわゆる「レトロ」な雰囲気がとにかく素敵。
店内に設置されている椅子やテーブル、雑貨類や照明まで、古いと言えば古いものばかりだけど何故だか無性に「懐かしさ」を感じてしまいます。
また、こじんまりとしているからこそ人それぞれの過ごし方が尊重されている感じで、話し声が騒がしいということもなく、読書したい人は好きなだけ没頭することができます。
この日も気づくと3時間以上居座ってました(笑)
『寂しい生活』 私にとっての「豊かさ」とは何なのか?
お気に入りの喫茶店で読み耽っていた、稲垣えみ子さんの『寂しい生活』
同じく稲垣さんが書かれた『魂の退社』という本の続編です。
かつて勤めていた職場の人間関係に疲弊し辞めるべきか悩んでいた時、『魂の退社』の内容にとてつもなく感銘を受けたのを覚えています。
こういう人がいるんだ。
こういう生き方もあるんだ。
便利な家電を全て処分して(冷蔵庫すらも)、仕事も辞めて。
世間が「良し」とする風潮に背を向けるような生き方を選んだのに、苦労するどころか毎日が新しい発見に満ち溢れて行く。
不便で貧しいどころか、どんどん豊かになって行く。
はて、世間が言う「便利で豊かな生活」とはいったい何だったのだろう?
というか……
私にとっての「豊かさ」とはいったい何だろう?
貯金は決して多くはないけど、日々の生活に困ってはいない。
仕事もしている。
住む場所もある。
テレビも冷蔵庫も電子レンジも電気ケトルもスマホもパソコンもエアコンもある。
なのに、何故こうも毎日些細なことで不安に駆られるのか?
「足りているはずなのに、足りていない」
この感覚はきっと私だけではなく、多くの現代人が大なり小なり持っているものなのだと思います。
世の中どんどん良くなっているはずなのに、日本人の幸福度は先進国中最低レベル。
何が自分にとっての幸せなのか分からないまま、大量消費社会にどっぷり嵌まって抜け出せない。
考えてみれば確かに、おかしな話です。
世界で最も恵まれた国で暮らしているはずなのに。
著者の稲垣さんは「捨てる」ことで本当に必要なものを理解することができた。
しかし現状の私は残念ながら、稲垣さんのように思い切った行動に踏み切る勇気はないです。
冷蔵庫もエアコンも必要だし、テレビ番組は全然見ないけどゲームはしたい……。
ええ、文明の罠に、すっかり嵌まっていますとも。
しかし最近気をつけているのは、「今この瞬間」幸せかどうかを意識するということ。
稲垣さん自身も、決して「捨てる」ことを全員に推奨しているわけではありません。
一番大切なのは、自分の幸せに気づくこと。
些細な幸せにも気づくことができれば、豊かさなんて案外、自分の身近な所に転がっていたりするものだと、そんなふうに実感できるはず。
とりあえず本日の午後、お気に入りの喫茶店で美味しいコーヒーを飲みながら読書に没頭していた時の私は誰よりも幸せだったし、自由でした。
「ながらご飯」をやめると時間が無駄にならないと実感
画像は今日の夕食。
ゆかりおにぎり、キムチとわかめの鶏がらスープ。
おかずは午前中に作り置きしたきんぴらごぼうと鮭の照り焼き(しめじ入り)
はて、「映え」とは何のことでしょう?
地味でも何でもお腹は満たされたので充分です。
稲垣えみ子さんの本にも「漬け物があれば良い」的なことが書いてあったし……
※稲垣さんは決して私のようにズボラなわけでも手を抜いているわけでもないです。
そうそう、夕食の時はいつもテレビでYouTubeを観ているのですが、今日は何となくそれをやめてみました。
テレビを持たない稲垣さんに感化されたわけではないですが、やっぱり「ながらご飯」をやめると時間を無駄にせずに済むなあと実感。
いつもは食べ終わった後もすぐに片付けに入らずダラダラとYouTubeを見続けて気づくともう9時……なんてこともザラですから。
いきなり家電を捨てるのは無理でも、自分自身が普段から行っている無駄な習慣を捨ててみるのは良いかもしれません。