「最近の若いもんは!」
……というのは、よく聞く大人の愚痴り文句。
「礼儀がなっていない!」とか「やる気が感じられない!」などなど。
しかしとある本によると、実際の『最近の若いもん』というのは、基本的に『素直でいい子』『真面目でいい子』なのだとか。
著者が独自に『いい子症候群』と定義する、最近の若者の行動や心理的特徴。
アラフォーの私も、その本を読んでみて納得、そして共感。
何に共感したかって、最近の若者たちの『いい子』振りに。
『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』(金間 大介・著)
『いい子症候群』な若者たちの特徴を、終始コミカルな文章で紹介されています。
思わずクスッと笑いを零してしまうエピソードもあり。
最近の若者たちの姿を嘆いたり、否定したりする内容が一切無いのも好印象でした。
むしろ、変わらなければならないのは若者ではなく社会であり、私たち大人の方であると断言しています。
本書内のとあるエピソードの中で、日本海軍の名将・山本五十六の名言「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」が紹介されているのですが、そんな名言すら通じないという若者たちの姿には思わず唸ってしまいました。
最近の若い人たち、やるなあ!(笑)
『いい子症候群』は最近の若者だけの問題か?
若者が変化を好まず、挑戦を避け、守り一辺倒の内向き志向となっているのは、若者が育ってきた日本社会がそうだからだ。
挑戦や変化が成長につながらず、チャレンジしても得られるものがないと若者が思っているのは、大人がそう見せつけてきたからだ。
自分が出来もしないし、やりもしないことを、若者に押し付けるなんて搾取以外の何物でもない。
引用元:先生、どうか皆の前でほめないで下さい―いい子症候群の若者たち―【著:金間大介 出版社:東洋経済新報社】
著者の言葉通り『いい子症候群』の原因が日本社会にあるのなら、若者だけを問題視する風潮というのも間違っているなあと感じます。
以前の記事にも書いた『若者の恋愛離れ』なんかもそうですよね。
本当の原因はもっと根が深いものだし、若者特有とされている現象に共感できる大人も結構いるのではないかと思います。
私も、その1人です。
私の『いい子症候群』
著者が定義する『いい子症候群』の主な事例↓
- 協調性がある
- 人の意見をよく聞くが、自分の意見は言わない
- ルールに従う
- 一番嫌いな役割はリーダー
- 自己肯定感が低い
- 競争が嫌い……etc
最近の若者ではないですが、私自身にとっても他人事とは思えない事例ばかりです。
私も『いい子症候群』を10代の頃から患っているんだなあ、と。
私は大学には行っていないので、主に小学校高学年頃から高校卒業までの話になりますが……
子どもの頃、教師たちは口を揃えて私を「真面目ないい子」と評していました。
これだけ聞くと「自慢か!」と思われるでしょうが、当時の私はただ『そう思われるように振舞っていた』だけでした。
理由は単純に『怒られるのが怖いから』
そしてそれ以上に『目立つのが怖いから』
自分の好きなように振舞って言いたいことも言って、クラス内で目立ってしまうことを、とにかく怖れる子供でした。
だから教師の言うことは素直に聞いたし、校則もしっかり守っていた。
教師たちに目をつけられることも嫌だったし、同級生から頼られたり、あるいは陰口の対象にされることも嫌だった。
何かで1番になろうとも思わず、中間くらいで良いと思ってました。
実際には中間どころか、成績は限りなく下の方だったのですが……。
意見や質問を自分から発するのは目立つので、周りに同調するか、他の誰かの発言内容を少しだけ捩って言う程度にとどめていました。
そして大人になった今も、そういった傾向は根強く残っています。
なぜ『目立つこと』を怖れたのか
単に「恥ずかしいから」だけでは済まされないような、根深い恐怖心だったように思います。
「集団の和を乱してはいけない」と、子供ながらに察していたのかもしれません。
子供にとっての社会は学校です。
学校の中から更に、30人程度の同年齢で構成された『クラス』という集団の中で、1日の大半を過ごします。
また更に、クラス内で過ごすうちに数人ごとの『仲良しグループ』が自然と形成されて行き、同じグループ内の仲間たちと一緒に行動することが基本になります。
他のグループの子たちとは原則、関わりません。
男子はどうかわかりませんが、女子はこの傾向が強いです。
物凄く狭いコミュニティ。
けれど、まだ実社会を知らない子供にとって、その狭いコミュニティこそが現実であり、自分たちが生きる社会です。
狭いコミュニティ内での処世術は『浮かないこと』
同じグループ内ではもちろん、クラス内の誰にも、教師たちにも、とにかく目立たないように『大勢の中の1人』で居続けること。
万が一にも、目立つ行動をとってグループの仲間たちから嫌われたり、ハブられるような事態になれば一大事です。
学校内での孤立は最悪、いじめにも繋がります。
皆がそれぞれの『仲良しグループ』で和気藹々とやっている(ように見える)中で、自分だけが教室内でポツンと孤立している状況は明らかに目立つし、浮いています。
皆からチラチラ奇異の目で見られるし、陰口も相当叩かれることでしょう。
孤立が嫌なら他のグループに混ぜてもらうしかないのですが、それは至難の業。
それまでとはまったく異質の世界に身一つで飛び込むようなものです。
というかそんな高度なコミュニケーション能力があるのなら、そもそも孤立自体しなかったわけで……。
大袈裟に聞こえるでしょうが、この辺り、経験した人にならご理解いただけるかと思います。
大勢の中に埋もれ続けていれば安心
今でこそ『ぼっち』を満喫する私ですが、学校という社会で生きていた頃は孤立することを極端に怖れていました。
それを避けるために、常に皆と同調し、変に目立つことのないよう自分の立場を調整しながら過ごしていました。
- 授業はしっかり受けるけれど、自分から質問や意見を述べたりはしない。
- 教師に言われたことは守るけど、言われた以上のことまでは絶対にしない。
- (勉強などで)1番を目指したりはせず、真ん中か、いっそ下の方が良い。
- クラス内(もしくはグループ内)にリーダー気質の子がいたら、基本はその子に同調し、場を乱すような発言や行動は控える……など。
結果、私は『真面目ないい子』以外に似合う言葉がないという、つまらない人間になりました。
その言葉は要するに、可もなく不可もない子から無理矢理にでも長所を見つけ出さねばならない時に使われる常套句だと思ってます。
※もちろん、本当の意味で真面目ないい子もいると思いますが。
なので私は昔から、「真面目だねえ~」なんて言われても、嬉しいと感じたことは1度もありません。
かと言って『真面目ないい子』以外になろうとも決して思いませんでした。
目立つこと、孤立することにひたすら気をつけながら大勢の中に埋もれ続けている方が、安心できたからです。
根が深い『いい子症候群』 でも結局は自分次第?
いい子症候群を増殖する空気を広く蔓延させているのは、実は若者であるあなた自身だ。
(中略)人は空気の発生源を自分の外側にあると考える。だが、空気の源はあなた自身なのだ。
(中略)つまりは、結局は主観だということ。すべてはあなたの中で起こっていることだということ。
ネガティブな妄想を膨らませてしまう気持ちはわからないでもない。ただ、妄想しがちなエネルギーをポジティブなほうへ切り替えることも可能だ。
引用元:同上
個人的に、いい子症候群はどこかブレインロックと似ているなあと感じました。
無意識に植え付けられた狭い価値観の中で思考停止したまま、ひたすら周囲や社会に同調する。
そして、そうすることを選んだのは結局『自分自身』だということ。
同調こそが日本社会なのだとしても、それ自体は勝手に起こっている、もしくは流れとしてそういう社会になっただけであって、起こった出来事をどう捉えるかは完全に『自分の心の中』の問題です。
例えクラスの仲良しグループからハブられようと、それをポジティブに捉える人もいます。
「やった! 今日から誰の顔色を窺う必要もない! 自由だ!」
……という具合に。
10代の頃の私もそのことに気づいていれば、もっと楽しい学校生活を送ることが出来たのかもしれません。
まとめ
『先生、どうか皆の前でほめないで下さい―いい子症候群の若者たち―』
- 著者:金間大介
- 出版社:東洋経済新報社
- 協調性がある
- 人の意見をよく聞くが、自分の意見は言わない
- ルールに従う
- 一番嫌いな役割はリーダー
- 自己肯定感が低い
- 競争が嫌い……etc
- 日本社会がそうだから(同調・横並び主義)
- チャレンジしても得られるものはないと、大人がそう見せつけてきたから
- 大人がやりもしなかったことを若者に押し付けるのは搾取に過ぎない
- 若者は、そんな大人たちから自己防衛しているだけ
- いい子症候群を蔓延させているのは、実は自分自身
- すべては自分の中で起こっている
- 結局は主観であることを知り、ネガティブをポジティブに変換してみよう
本書で紹介されている若者像に共感できる方も多いのではと思います。
かつて『いい子』だった大人の方にも、ぜひオススメしたい1冊です。