アラフォーの私は現在、恋人はおりません。
もちろん結婚もしてないし、する予定もありません。
マッチングアプリで出会いを探すとか婚活に励むだとか、そんなことする気も一切ありません。
なぜなのか?
このブログを始めてから約2年半。
詳細な理由をほとんど語って来なかったな~と今さら気づいたので、今回書いてみようと思います。
『私が結婚しない理由』
機能不全家庭で育った
1番の理由というか、きっかけはこれ。
両親の不仲。
私自身が気づいたのは10歳くらいの時ですが、両親の間には私が気づくよりもだいぶ昔から既に亀裂が生じていたようです。
私が育った家庭環境は、いわゆる『機能不全家族』でした。
両親と私と妹、家族4人揃っての夕食の時間が、いつからか苦痛でしかなくなりました。
よく『毒親』なんて言いますが、母に対しては昔も今も感謝しかありません。
「こんな娘を見捨てずにいてくれてありがとう」っていつも思います。本当に。
私にとって『毒』だったのは母ではなく、父でした。
支配的なモラハラ親父
父は今の言葉でいう『モラハラ』タイプの人間でした。
父は自分でもよく、
「俺は考え方が古いんだよなあ~」
などと言ってましたが、あの人の言動はそういうレベルの問題ではなかったと感じます。
自分の思い通りにならないと不機嫌になる。
私や妹がいる前で母を怒鳴りつける。
子供(特に思春期の娘)が傷つくようなことを平気で言う(しかも傷つけている自覚なし)
「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ!」
「うるせえ! お前は黙ってろ!」
「お前、本当に女らしくねえな!」
「俺からすれば、あいつ(母)の考え方なんか愚の骨頂だから」
……などと暴言を吐き、私たちが口答えすることを絶対に許さない。
女性を見下す言動も多かったと記憶しています。
しかも本人はまったく自覚がないものだからタチが悪い。
「女らしくねえな」というのは私の日々の態度が、父の理想とする娘の姿とは程遠いからでしょう。
確かに当時から魅力的とは言い難い私ですが、だからって父の理想の『可愛い娘』なんかには絶対なるものか、とハラワタ煮えくりかえる想いでした。
あの男にとって可愛げのある、要するに何でも言うことを聞く都合の良い娘?
考えるだけでも吐き気がする。
「自分は家長である」ということに、変に固執し過ぎている節もあったように思います。
「家長である自分が絶対。間違っているのはお前たちの方だ」というふうに。
父には父なりの理想の家庭像があり、それを実現しようと必死だったのかもしれません。
しかし母には母の考え方があって当然だし、それを大声で怒鳴りつけて黙らせる父の態度は、まだ子供だった私の目から見ても愛情と呼べるものではなく、ただの支配でした。
内心では父に反発し、憎しみすら抱きながらも、私が反抗したところで太刀打ちできるはずがないので、いつも黙って頷くか、父の機嫌を損ねないよう慎重に言葉を選んでました。
やたら他人の顔色を気にする性分の大元は、この頃から来ていると思います。
納得出来ず、でも従うしかない自分が悔しくて涙を浮かべる私の姿を「反省したんだな」と勝手に解釈して、満足げな笑みを浮かべながら頭をぽんぽん叩いてくる父を思い出すと、今でも嫌悪と吐き気がこみ上げてきます。
両親は結局、私が18の時に離婚しました。
私と妹は当然、母について行き、父とはそれ以来会ってません。
今から4年ほど前。ちょうど私が今のアパートで暮らし始めた頃。
父が他界したと、実家の母からLINEで連絡がありました。
母自身には父の実家から連絡があったようです。
1人で暮らしていたアパートの部屋で、ひっそりと息絶えていたそうです。
いわゆる孤独死。
私はLINEで、それとなく悲しんでいる風の返信をしつつも、内心では「ああ、やっと死んだか」なんてホッとしてました。
酷い娘だと、自分でも思います。
でも、どうしたってそれ以上の感情は湧かなかった。
親子だからって絶対的な絆だとか、無条件に愛するだとか、必ずしもそうとは限らないと思ってます。
親子であっても1対1の人間関係なのだから、こじれたり、時には冷え切ったりすることもあるはずです。
私は母のことは大好きだし、尊敬してるし、感謝しています。
でも父に対しては、亡くなった今でも嫌悪や憎しみしかありません。
亡くなったと知った時、真っ先に感じたのは紛れもなく『解放感』でした。
「支配が終わった。もう干渉されることはない」
歪んでいるなと、自覚はしています。
10代の初めから男性不信に
そんな父の姿を見ながら育った影響で、中学校に入る頃には私の中で「男なんて皆こんなもの」という考えがすっかり根付いていました。
12~13歳にもなれば、大抵の女子は同級生の男子に興味を持ったり、「●●君がカッコイイ!」などと色恋話に花を咲かせそうなものですが、私は同級生だろうと上級生だろうと異性に魅力を感じることがありませんでした。
高校に入学してからも同様に。
男性=父と同じ性の生き物だと思うと到底好きにはなれず、湧いて来るのは嫌悪感と恐怖心でした。
現在の私は当時ほど男性不信ではなくなりましたし、そんな酷い男ばかりではないと頭では理解しています。
それでもやはり、「深く関わりたくない」というのが本音です。
仕事上ではコミュニケーションも取れるし、表面的には仲良く振る舞えるけど、それ以上になりたいとは思いません。
自分の中で線を引いて、相手にそれ以上は踏み込ませないし、自分からも踏み込もうとはしない。
この辺は異性だけでなく、同性と接する時も同じです(←友達ゼロ)
誰に対しても本気の感情を抱くことができない、冷たい人間になりました。
『結婚=幸せ』とは思えないし、思わない
物心ついた頃から思春期の終わりまで両親の不仲を見てきたおかげで、10代のかなり早いうちから結婚に夢など抱かなくなりました。
- 結婚=幸せとは限らないし、夫婦になったからって永遠に愛し合えるわけじゃない
- 家事、育児、夫の両親の介護まで全部が妻の役目という風潮に納得できない
- 結婚とは結局、女の方が負担を負わされるもの
- 夫婦共働きでも、夫は「自分の方が稼いでいる」「正社員だ」というただそれだけの理由で妻を抑圧する
- あんな父の下で育ち、男性には不信感しか抱けない自分が誰かと家庭を築いたところで、両親の二の舞になるだけ
だいたい上記のような考えを持ったまま大人になってしまいました。
もちろん、これらが世のすべての夫婦に当てはまるわけではないことは承知しています。
本気で結婚を望んでいる人や、結婚して家庭を築いている人たちを全否定するつもりもありません。
仕事と家庭を両立させてるお母さんたちや、スーツ姿でママチャリ漕いで子供を幼稚園や保育園に送り届けるお父さんたちの姿は立派だと思うし、尊敬します。
いつまでも偏った考え方に縛られるのは良くないことだと、自覚もしています。
それでも私にとって結婚は幸せではないし、上記の考えも、決して間違いではないと思ってます。
子供も望まない
私はいわゆる『いない歴=年齢』です。
でもそれで良かったと思ってます。
この年齢まで誰とも交わらないまま生きて来られた自分に、安心しています。
10代の頃からずっと「私は結婚もしないし、子供なんて絶対に産まない!」と決めていました。
半分でも私の血を引いた子供など、可愛がれる自身がありません。
可愛いどころか「可哀想だ」としか思えません。
酷い母親になる自分の姿しか想像できません。
なので私は、周りからどう言われようと絶対に結婚も子供も望まないし、死ぬまで1人です。
誰かと暮らすことに向かない人間
ここまで散々『機能不全家庭育ち』を理由に挙げてきましたが、じゃあそんな家庭で育たなければ今頃ふつうに結婚して子供も産んでいたのかと訊かれると、そうでもないな、という気がします。
そもそも私は他人(同性・異性問わず)と2人きりになることが昔から非常に苦手で、映画も買い物も食事も、何でも1人でするのが好きな性分です。
過去の読書感想記事で『恋愛や結婚にも向き・不向きがある』ということを書きましたが、私は明らかに『不向き』なタイプです。
育った家庭環境の影響もゼロではないでしょうが、半分は私が持ってる元々の気質だろうと思ってます。
私の中で、自分1人の時間を得ることは、大金を稼ぐことよりも重要なので。
「一生独身だと将来が不安」
「孤独死したくない」
……という意見も耳にしますが、結婚しても短期間で離婚する夫婦だって珍しくない世の中だし、孤独死する可能性なんて独身者・既婚者を問わず誰にでも有り得るんですよ。
私の父のように。
自分には向かないと分かっているのなら無理にする必要はない。
家庭を築くことを本気で望んでいる人たちだけがすれば良い。
私の中で、結婚とはそんなものです。