水曜日の放課後に、キャリアコンサルティングがありました。
ちなみにキャリアコンサルティングというのは、就職支援担当の講師と1対1で、就職についての疑問点や不安などを相談したりするものです。
職業訓練の1番の目的は就職することなので、おそらくどのコースにもこういう時間が設けられていると思われます。
で、そのキャリアコンサルティングの際、講師の方に言われたんですよ。
「ながみさんの1番気がかりなところは、自信の無さがハッキリ見て取れることです」
……心の中で思わず、「ああ、なるほどな!」って納得してしまいました。
自分に自信が無さすぎるが故に上手く行かなかったこと、失敗したこと、逃げてしまったこと、たくさんあります。
そして、そんな自分が嫌になって自信を失っていく。
私の人生、基本的にそんなことの繰り返し。
「もっと自分に自信を持って!」って言葉、嫌になるほど耳にしてきたけど、そもそも『無い』ものをどこから持ち出して来れば良いんですかね?
というか純粋に疑問なのですが、世の人々はそんなに自分に自信がおありなのでしょうか?
そんなに自分自身を認めて、許せているのでしょうか?
だとすればいったい、どうやったら、そんなことが可能になるのでしょうか?
私は本気で、その方法が分かりません。
これまでの仕事の実績だとか、成果や評価されたこととか、皆たくさんお持ちだからなのでしょうか?
私にはそんなものありません。
謙遜とか卑屈になってるとかでなく、本当に『無い』んです。
必死に頭を働かせながら皆の役に立とうと頑張ってはいたけど、お局みたいな連中にダメ人間扱いされたり、それにびくびくしてミスを連発したり、そういう記憶しか出てきません。
ええ、分かってますよ?
単に、私の頑張りが足りなかっただけなんですよね?
でもじゃあ、どれだけ頑張れば良かったんでしょうかね?
どれだけ必死になって、どれだけあの人たちの求めに応じられていれば、頑張ったと言えるんでしょうね?
普通、派遣だろうとアルバイトだろうと、これだけ転職回数を重ねれば少しは働くことに自信が持てそうなものだけど、私は働けば働くほど、自分の嫌な部分が目について、ますます自信を失っていく。
それでも働かなければ収入が得られないし、生活できない。
たとえどれほど自信が持てなくて、自分のことが吐き気がするほど嫌いでも、自分自身とは死ぬまで付き合って行かなきゃならない。
私が本当に相談したいのは就職活動についてなどではなく、自分に自信が持てないまま、自分のことが大嫌いなままこの社会で生きて行く方法。
ひたすらポジティブ思考を心掛けたり、自分自身に「大丈夫!」などと呪文のように言い聞かせ続けるのは却って苦しいだけだと思い知りました。
誰が何と言おうと、『無い』ものは出せません。
……そんな感じで41まで生きてきました。
今年で42になります。
もうこのまま、『自信の無い自分』を引き摺ったまま生きて行くしかないと思ってます。
でもそれって、そんなに罪なことなんですかね?
無理にでも自信を持って、何が何でも自分を好きになるべきでしょうか?
最近やけに、生きるのが面倒くさいと感じることが増えました。