去年か一昨年に購入した『人生の公式ルートにとらわれない生き方』という本を再読しました。
テレビ局のアナウンサーから『eスポーツ』の実況アナウンサーへ転身した平岩康佑さんの著書です。
ちなみに平岩さんはユーチューバーとしても活躍されています。
私も「あつまれどうぶつの森」の実況動画が面白くて、よく視聴してました。
本を読んで改めて思ったのが、
「私の人生、とっくの昔から公式ルートを外れまくっているじゃないか」
……ということ。
人の生き方も職業も、ますます多様化する時代
『eスポーツ』というのは、プロのゲーマーがテレビゲームやスマホなどのアプリゲームで技を競い合う対戦競技のこと。
ただのゲーマーではなく『プロのゲーマー』ですから、単にゲームが上手い人というレベルのものじゃありません。
私もYouTubeで実際の大会の様子を視聴したことがありますが、優勝を目指すうえでプロゲーマーたちが身につけなければならない能力の数々は、もはやアスリート。
思考力、分析力、反射神経その他諸々。
チームを組んでプレイするゲームであれば、仲間との信頼関係やコミュニケーション能力も欠かせません。
中には10代でプロゲーマーとして活躍し、億単位を稼ぐ人もいるそうです。
近年、日本でもeスポーツの大会に大手企業がスポンサーにつくなど、かなり盛況な様子。
また日本では、東大卒のプロゲーマーが結構多いのだとか。
そして子供の頃からゲームが大好きだという著者の平岩康佑さんは、2017年に韓国で行われたeスポーツの大会を観戦し深い感動を覚え、ついには勤めていたテレビ局を退社。
eスポーツ実況アナウンサーへと転身し、会社まで設立するという日本初の快挙を達成しています。
ここまで読んで、ふと疑問を覚えました。
『人生の公式ルート』とは、いったい何?
「人生の公式ルート」なんてたぶん、最初からない
著者の言う『公式ルート』というのは要するに、世間一般が良しとする「良い学校を出て、良い会社に就職して、結婚して子供が出来たらマイホームを購入して……」みたいなやつです。
著者の平岩さん自身も本の中で疑問を投げかけていますが、そういう従来の価値観は本当に『万人にとっての公式』なのだろうか?
特にここ数年、働き方を始め、人の生き方そのものが多様化しているなと感じることがよくあります。
テレビ局のアナウンサーからeスポーツ実況アナウンサーへ転身した平岩さんを始め、
プロゲーマーとして世界大会で活躍しながら億単位を稼ぐ若者たち。
普段は会社勤めをしながら、副業でYouTubeに動画を投稿し高評価を得ているサラリーマンやOL。
アフィリエイトで月100万円以上稼ぐ凄腕ブロガーなど。
世間が良しとする公式ルートでなくても、しっかりと生きがいを見つけて成功している人たちは大勢います。
思ったのは、こうすれば絶対に誰もが幸せになれる『人生の公式ルート』なんてものは、実は最初から存在しないのではないか……ということ。
ただ単に、私たちは子供の頃から「これが公式なんだ」と信じ込まされているだけなのではないか?
学校から、テレビなどのメディアから、社会そのものから。
本当はもっと自分の人生を自由に生きて良いし、それが出来る世界なのではないでしょうか?
世間が望む公式ルートから早々に脱していた私の人生
たぶん20歳になる頃には既に、私の人生、公式ルートから大きく外れていたような気がします。
まず私は10代の割と早い時期から「結婚はしない」と決めていました。
理由は色々ですが、前時代的な男女の価値観がまだしぶとく残っていた当時、「結婚は必ずしも幸せではないのだ」と子供心に感じる出来事が身の回りで多々ありました。
10代前半で『結婚』というルートを人生から切り捨て、それをアラフォーになった今でも貫いている時点で、私の歩む道は『世間の公式』からは大きく外れていると言えるのでしょう。
学歴も正社員歴もなし。無職歴あり。でも今、何とか生きてる
私は大学には行ってません。
正社員として働いた経験もありません。
専門学校に1年間通った後、書店で4年ほどアルバイト。
書店を辞めた後は派遣会社に登録し、百貨店でのレジ業務や、簡単な事務系の仕事を転々としていました。
更に言えば1つの仕事を数年勤めて辞めるたび、かなり長めの無職期間があったりします。
1年近く、ほぼニートだった時期もあります。
一般の女性たちが若いうちに経験するであろう華々しい出来事を一切スルーした状態で20代を過ごし、30代を迎え、あっという間にアラフォーになりました。
公式ルートを大いに外れたあげ句、未だはっきりとした場所に辿り着けていない。
世間では私のような有り様を「ダメ人間」と称するのでしょう。
実際その通りだと思います。
しかし敢えて、ひとつだけ言いたいことは
「それでも今、何とか生きていますよ」
ということ。
『自分のため』に生きられない状態が、一番良くない
世間が良しとする生き方に、がんじがらめに囚われていた時期は私にもあります。
とっくに自分は公式ルートから外れまくっているのだということに気づかず(あるいは見て見ぬ振りをして)、
「働かないと世間からダメ人間扱いされる」
「母にも見捨てられる」
などという思い込みから、当時は必死で仕事を探していました。
正社員の仕事にも応募して何度か面接まで行ったこともあるのですが、結果は散々。
バイトだろうと派遣だろうと契約社員だろうと、とにかく応募して『採用された会社で』必死に働くということを繰り返していました。
すべては自分のためではなく『他者のため』
「自分がこうしたいから」ではなく、
「周りがそう言うから」
「世間ではそれが当たり前だから」
……という理由で仕事を選んでいました。
自分が働く理由を他者になすり付けて、自分の頭ではろくに考えようともしない。
まさに思考停止状態。
そんな感じだから仕事を楽しむことなんて到底出来なかったし、学べることはたくさんあっても、口を突いて出るのは不平不満ばかりでした。
決して、会社に雇われて働くことが悪いという意味ではありません。
『自分のために生きていない状態』が良くないのだと思います。
自分自身が納得できる道はすべて「公式ルート」
過去を振り返ってみて思うのは、良い学歴も、立派な職歴も、結婚も。
世間が「人生の公式ルート」と称するもの、ほぼすべて。
もしかしたら私には、最初から不要だったんじゃないだろうか?
世間が言う公式ルートに囚われていた時期もありましたが、今はそれらが割と「どーでも良い」とすら感じています。
たいした職歴もなく、結婚する気もゼロのアラフォーだけど、派遣社員として働きながら1人暮らしをしている今は、以前と比べてだいぶ日々が充実しています。
今の私は、やりたい仕事は未だ不透明だけれど、『続けて行きたいこと』ならあります。
『1人暮らし』と『ブログ』です。
現在の派遣先での仕事は、
「この2つを継続するために必要な資金を得るためのもの」
……と、そのように割り切っています。
多くの人からすると「いい歳して何言ってんだ!」みたいな感じでしょうが、私自身は「もうこれで良いんじゃないか」と、むしろ開き直ってます。
自分自身が納得して選んだ道は全て『その人にとっての公式ルート』なのではないかと、私はそう思いました。